コインブラ大学(Universidade de Coimbra)2

Rasganço(制服引き裂きの儀式)

ラスガンソ(ハズガンソ)

 コインブラ大学制服の最大の受難は、Rasganço(ラスガンソ。ハズガンソとも発音される)という儀式である。Rasgançoは700年以上の歴史を持つ古い伝統儀式で、コインブラ大学の最終学年の学生によって執り行われる。現在ではかなり稀になってきているようだが、しかし存在しないわけではない。

 Rasgançoは「引き裂き」という意味を持ち、学生生活の終わりを表す行事で、その学生の制服が最も親しい友人たちによって細かく切り裂かれていく。彼らはこうして生産的な社会人となる準備ができたことになり、就職活動が始まるのである。

 この日、制服にとっては最も残酷に最期を迎える地獄の一日になる。着用者も仲間たちもみな笑顔に包まれている中で、上着、ブラウス、スカートなどはすべてをずたずたに切り裂かれていく。そして、哀れにも細かな布きれと化した制服の破片は、街じゅうのいたるところに括りつけられる。特に街頭にあっては、できるだけ高い位置に結び付けるのが良いとされるので、門柱や樹木、銅像などの高いところに、制服の表地や裏地、ブラウスの切れ端が風になびく様子がそこかしこに見られる。


Rasganço紹介動画

Youtubeには、ラスガンソの様子をつぶさに映したものは多くない。その中で唯一ともいえる動画を紹介しよう。制服の叫び声と呻き声が聞こえるだろうか。

Youtubeにアップされた動画では、大学制服が引き裂かれていく様子が映されている。

0:06 最初に、上着の左脇にハサミが入れられ、両手で左右に引き裂かれる。生地の裂ける音が実に痛そうに聞こえる。間から一瞬見えるタグは素材タグなのであろう。スペアのボタンも付いているが、これが使われることはもう無い。

0:20 すでにスカートも大きく切られた後のようだが、裏地は残っているようだ。隣の女性がおもむろにブラウスの裾をひっぱると、ボタンが弾け飛んでいる。

続いて別の女性が、ブラウスにハサミを入れ、縦に大きく引き裂く。上着とは異なるブラウス独特のシャーっという高い音が耳に残る。

0:39 無事で過ごしていたスカートの裏地にハサミが入れられ、思い切り裂かれる。か弱い生地はひとたまりもない。

0:51 もう再起不能であることは明らかだが、スカートが再び裂かれる。誰も止めるどころか、みな笑顔だ。制服は己の運命をすでに悟っているだろうか。

1:02 次々に裂かれていく制服の前で、ギターのネックが見える。ほかの学生のものだろうか、制服の裏地のハギレが括りつけられていて、ドキッとさせられる。

1:20 そんななか、友人たちは上着の破損に熱心のようだ。引っ張られて生地が裂ける音にも慣れてきた自分に気付いて唖然とする。

1:51 上着の袖が大きく破損される。表地だけが引っ張られて裏地がさらされていたり、裏地にハサミを入れて裂こうとする様子は残酷すぎる。まるで生き物をなぶり殺しにしているようである。なにゆえにこの制服は、こんな目に遭わねばならないのかと叫びそうになる。

2:55 まだ辛うじて残る上着を着ようとする学生。ブラウスのダメージも相当なものだが、地獄はまだこれからだ。


↓ ラスガンソの日に歌を歌う学生たち。左端の2名の制服が切り裂かれている。ボロボロになって、揺れる様子が哀れだ。この動画には写っていないが、おそらくこのあと、もっと散々な目に遭わされたはずだ。マントは相変わらず雑然と地面に放り出されている。

 

https://www.youtube.com/watch?v=30oQLFwRw48

https://www.youtube.com/watch?v=ihkLUDN_Rw4


↓最近は様子を詳細に写した動画がほとんど観られなくなった。画質は悪いが、かろうじてみられるものを載せておく。


記念写真

儀式が一段落したあとの記念写真を見ると、女子学生たちのスーツ制服は見る影もない。上着は失われ、ブラウスの残骸が辛うじて胸を覆っている。スカートも裏地を哀れにさらし、股間を覆う下穿きと化している。地面には、さきほどまで女子学生の身に纏われていた制服の惨めなハギレが散らばっている。

日本の女子大学には制服が採用されているところがいくつかあるが、ポルトガルの大学制服ほど出番は多くない。着用義務は式典のみとしている大学がほとんどで、実際は入学式と卒業式しか出番がなかったというパターンだ。

一方で、ポルトガルの大学制服は日常的に着用される機会は多い。在学中に2回しか着用されない制服と、日常的に使い倒されるも、悲惨な最期を迎える制服とではどちらが幸せと言えるのだろうか。


下の写真を掲載したブログには、最後の行に、

”mais que nunca, me orgulho por termos tido "aquele" Rasganço!  Beijos a todos, em especial às rasgadas!”

(前よりももっと”あの”ラスガンソをやったことを誇りに思えました。皆にキスを、そして特に引き裂かれたモノたちにキスを!)

と書いてあった。引き裂かれたモノというのは制服のことだ。わずかでも触れてくれていることがせめてもの救いだ。


ストッキングも巻き添えを食って台無しだ。



↓儀式の前のスナップショットでは、これから自分の身に何が起こるのか想像もしていない制服が、誇らしげに写っている。形ある最後の瞬間かと思うと、可哀想で堪らない。しかし、どうしようもない。助けようにも助けられない、もどかしさだけが残る。


↓最初の一撃にハサミが使われることも多い。立派なスーツ制服に遠慮なくハサミが切り込む様子は、実に痛々しい。そして、力づくで生地が引っ張られる。街中に生地が裂ける音が響く。それはまさに制服に悲鳴のようである。

制服も抵抗するかのように最後の力を振り絞って耐える。そのせいか、引き裂くほうもかなりの力が必要のようだ。

↓上着もベストもブラウスもスカートも、そしてネクタイまでも、制服のすべてのアイテムがズタボロにされる。制服一式の命が果てたとき、女子学生は社会人になる決意を固める。女子学生が立派な大人にならなければ、無残な最期を迎えた制服は浮かばれまい。


↓ブラウスのボタンは弾き飛ばされ、袖は切り取られ、身頃も切り裂かれている。これで胸を守るためには、裾を括るしかない。




ブログ

ラスガンソの様子を記録した別のブログ記事も掲載しておこう。

quinta-feira, novembro 09, 2006

Quase mês e meio depois

 

Foi na tarde de 23 de Setembro de 2006 que tudo se passou.

Clara Fernandes e mais uma malta, e porque tinham acabado o curso pouco antes, resolveram que se deviam rasgar.

Rasganço Feminino, o momento em que as raparigas libertam toda a sua raiva a rasgar as amigas e em que os rapazes aproveitam para deitar o olho a uma ou outra pernoca jeitosa que por lá se encontre.

A tarde começou com alguns contratempos mas que facilmente se resolveram (obrigadinho Sandra). Depois foi o encontro da malta no couraça para aquecer, ao qual se seguiu a ida para a universidade e, em menos de nada, lá estávamos nós quase nuas.

Aqui ficam algumas das fotos mais decentes.

<翻訳 by うら爺>

2006年11月09日 木曜日

約1ヵ月半ほど前。

2006年9月23日の午後にそれは起こりました。

 

クララ・フェルナンデスとギャングたちは少し前に大学課程を修了したばかりで、いよいよラスガンソをやるべきときが来たのだと決意しました

 

女子学生のラスガンソとは、女子学生たちにとってはすべての怒りを発散して友人の制服を引き裂く瞬間であり、男子学生にとっては目の前に次々現れる上品な美脚を鑑賞するチャンスでもあります。

 

その午後は何度か挫折しながら始まりましたが、簡単に解決しました(ありがとう、サンドラ)。それからヒートアップするにつれて、(身体に)胸当ての布をを纏っただけのギャングの一団と化し、大学への道を歩き続けるうちに、まったく何の意味もなく、ほとんど裸になってしまっていました。

 

ここに載せているのは、(そんな中でも)まだいくらかまともな写真の一部です。




Começou com um pequeno aquecimento:

まずはウォーミングアップから始まる。

<うら爺コメント>

いつもと変わらぬ朝、制服は女子学生に袖を通される。ハンガーに吊るされて一晩を過ごした上着やブラウス、スカートたちは肌のぬくもりを全身に感じながら、今日も一日がんばろうと身を引き締める。その日が最期の日になろうとは知る由もない。

上着の艶やかな裏地の輝きが悲しい。

 


A malta ainda toda vestida

ギャングたちはまだ服を着ている。

<うら爺コメント>

仲間と合流し、制服たちも見慣れたもの同士で会釈する。最終学年の制服たちは皆くたびれているが、まだしっかりしていて着用にじゅうぶん耐えるものばかりだ。


E foi então que, do nada, fui apanhada nas garras das raparigas loucas que só me queriam ver nua.

そして、どこからともなく、裸にしたいだけのクレイジーな女子たちの爪に捕まってしまうのだった。

<うら爺コメント>

今まで仲良くしていた人たちが突然狂暴になる。制服はいきなりハサミを入れられ、無理やり裂かれ始めるのだ。

制服は、自分の身に何が起こったのが理解できない。痛みが全身に走る。上着は表地も裏地も容赦なく引き裂かれていく。ブラウスもボロボロにされていく。スカートも例外なく餌食となる。

襲われる女性は悲鳴を上げながらも笑顔だ。


<うら爺コメント>

上着は原形を留めず、そこかしこに布切れが散乱している。ズタボロになったブラウスが辛うじて女子学生の胸を隠す。

制服は青息吐息だ。生地が裂ける音と女子学生の嬌声が交じり合う。



Resultado final:

その結果こうなる:

<うら爺コメント>

制服たちはもはや制服ではない。単なる布切れにされてしまった。スカートもほとんど裏地だけがわずかに垂れ下がり、女性の股間を覆い隠すのみ。


<うら爺コメント>

下級生の制服は今年は無事だが、来年以降、自分の番が来ることに気づいているだろうか?逃げるなら今のうちだが、それはもちろん叶うことではない。


<うら爺コメント>

破損状態の激しさを競うかのように、女子学生たちはズタボロの制服を見せびらかす。制服はすっかりぐったりしているようだ。これほどのダメージを食らったら、動物ならばすでに絶命しているだろう。


<うら爺コメント>

垂れ下がって揺れる布が哀れで堪らない。スカートも、まさかこのような形で裏地がさらされることになろうとな想像もしていなかっただろう。

有名制服店の裏地はアセテートで、シルクにも似たスベスベでか弱い生地だ。それがこんな姿にされてしまって、その痛みと恥ずかしさはいかばかりか。

すべてが終わって、生地がはぎ取られると、そのままゴミ箱行きとなる。制服に別れを告げる者は若干いることはいるが、感謝の気持ちを述べる者はいない。



もうひとつ、別の様子を紹介する。

まだまだ十分に着られそうな制服なのに、寄ってたかって引き裂かれていく様子は可哀想すぎて、私などは笑って観ていられない。



最初の一撃は、仲間が隠し持っていたハサミで入れられる。その次に、間髪入れずに手で思い切り引き裂かれる。原則として、ハサミは男性も入れることができるが、女子学生の制服を引き裂くことができるのは女性のみである。



無法地帯と化すラスガンソだが、胸まわりと股間だけは生地が残される。アクシデントが起こったときは、マントで覆い隠して、少ない生地をやりくりして、大切な部分が見えないように括ったり縛り付けたりする。

ラスガンソが終わると、このようなおなじみの姿になる。ブラウスで胸を隠し、スカートの切れ端で股間を覆う、まるで水着のビキニスタイルのようだ。

水着と異なるのは、このあとすべてはごみとして捨てられる運命だということだ。



制服は可哀想か?

これまで何着の制服が、このように残酷な形で台無しにされてきたのか。女子学生たちの至福の時は、こうした制服たちの苦痛や屈辱の上に成り立っている。ラスガンソから得られた彼女たちの喜びと満足は、制服たちの犠牲を価値あるものにしているのだろうか。

「引き裂かれる制服を可哀想だと思ったことはありますか?」と、女子学生たちに聞いてみよう。

答えは「服が痛みを感じるはずないでしょ。そもそも卒業したら制服は使わなくなるし、最後に私たちの門出を祝福する一助となるのは本望でしょう。制服はラスガンソのためにあるんだから」。

 

ポルトガル本国のサイトやブログなどをあちこち当たっているが、今のところ、制服が可哀想だとか、もったいないだとかいうコメントは見つかっていない。そもそもがズタボロにされる制服についての言及が、我々が期待するような形では見当たらないのである。

ラスガンソについて反対する意見もないではないが、それは制服がどうとかいう観点に基づくものではない。

アニミズム的傾向が強い日本と異なり、一神教の国々では無生物を擬人化する習慣が乏しく、したがって、物に対して思いやりの気持ちを持つという発想が無いのであろう。片付けコンサルタントで有名な近藤麻理恵氏も、「米国人に、手放すモノへ感謝すると言うと驚かれる。モノを大切にする思いを持ったことがないそうだ」と語っていた。欧米をひとからげにして申し訳ないが、ポルトガルでも、自己の満足のために制服を引き裂くことなど、何のためらいも感じないわけである。



制服リユースキャンペーン

大学の社会活動サービス部(SASUC)は、2016年より、中古制服を回収して、経済的に恵まれない学生のために貸し出すキャンペーンを始めた。これにより、在学中は制服を着用して行事に参加することができる。制服もラスガンソでズタボロにされずに、何年も活用してもらえるわけだ。

 

制服リユースキャンペーン→

http://noticias.uc.pt/multimedia/videos/sasuc-lancam-campanha-de-recolha-de-trajes-academicos-para-estudantes-carenciados/

 

 

コインブラ大学 告知2016/03/24より引用(日本語訳は下段参照のこと。)

SASUC lançam campanha de recolha de trajes académicos para estudantes carenciados.

No dia em que se comemora o Dia do Estudante, 24 de março, os Serviços de Ação Social da Universidade de Coimbra (SASUC) lançam uma campanha solidária de recolha de trajes académicos para empréstimo a estudantes desfavorecidos.

O objetivo da iniciativa é recolher o maior número de trajes académicos possível. Desta forma, os estudantes com manifestas dificuldades e carências económicas podem ter acesso, a título gratuito, ao empréstimo de um traje académico e assim participar nas tradições que exigem esta indumentária.

A campanha realiza-se em duas fases. Num primeiro momento é feita a recolha de trajes e, posteriormente, serão processados os empréstimos, fase em que a lavandaria e a engomadoria dos SASUC ficarão responsáveis pela manutenção.

Todas as pessoas que tenham um traje académico da Universidade de Coimbra e não o voltem a utilizar podem entregá-lo na Lavandaria, Engomadoria e Espaço Costura dos SASUC, localizada ao fundo das Escadas Monumentais, de segunda a sexta-feira, entre as 9h00 e as 21h00.

Com esta campanha, além de se contribuir para o reforço da Ação Social da UC, permite-se também que todos os estudantes possam participar nas tradições académicas da Universidade de Coimbra.

 

Mais informação em http://www.uc.pt/sasuc

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<翻訳 byうら爺>

SASUC、恵まれない学生のために制服回収キャンペーンを開始

3月24日の学生の日に、コインブラ大学社会活動サービス部(SASUC)は、経済的に恵まれない学生に貸与するため、大学制服を回収する連帯キャンペーンを開始しました。

この取り組みの目的は、できるだけ多くの大学制服を回収することです。これにより、明らかに困難な事情や経済的な必要性のある学生は、制服貸与サービスを無料で利用することができますので、この制服が必要な伝統行事に参加することができます。

キャンペーンには2つの段階があります。第一段階では、制服の回収が行われます。次に、貸与の手続きが行われ、その段階では、SASUCのランドリーとアイロンがけ担当が責任を持ってメンテナンス致します。 

コインブラ大学の制服をお持ちで、二度と使用しない方は、月曜日から金曜日の午前9時から午後9時までの間、モニュメンタル階段の下にあるSASUCランドリー・アイロン・ソーイングルームにご持参ください。 

このキャンペーンによって、コインブラ大学の社会活動の強化に貢献するとともに、すべての学生がコインブラ大学の大学伝統行事に参加することができるようになります。

 

詳細は http://www.uc.pt/sasuc を参照してください。

(翻訳終わり)

画像:Noticias UC

別途用意された「制服貸与規定」を読むと、申請にあたっては、経済的に困窮しているという証明が必要なようだ。

また、貸与を申し込むときに保証金60ユーロを入れなければならず、返却時に、貸与したときの状態に比べてあまりにも悪いと判断された場合は、保証金は没収となる。したがって、この制服で「ラスガンソ」の破損儀式に参加することはできないだろう。まぁ、たかが60ユーロだと思う学生もいるかもしれないので、制服を守るためには保証金をもっと上げても良いかもしれない。

だが、経済的に困窮している学生が大きな金額を準備できるわけもないか・・・。



制服の成り立ちとRasgançoの由来

ポルトガルでは、コインブラ大学に限らず、ほとんどすべての大学に制服がある。コインブラ大学に似たスーツ型の制服もあれば、着丈が足首までもあるロングスカート型や、闘牛士のようなボレロジャケットを羽織るものなどデザインは多彩だ。

各校の制服デザインについては、制服店大手の「A TOGA」のサイトに写真入りで紹介されている。

 

では、ポルトガルの大学には、なぜ制服が普及しているのか、そして、Rasgançoはどうして始まったのかについて述べておこう。

 

制服の起源は、聖職者の衣装にあるそうだ。

コインブラ大学は1290年の中世盛期に創設された世界最古の大学組織のひとつだが、そのころ大学で学ぶ者たちは聖職者であって、階級に従った衣装を身に着けて研究に参加しなければならなかった。その衣装を伝統的にBatina(バチーナ)と呼ぶ。たいていはCapa(カパ=マント)と併用されるので、Capa e Batina(マントとバチーナ)と表記されていることも多い。

Batinaは、いわゆるカソック(英語:Cassock)と呼ばれるもので、現在でもカトリックの神父が平服として着ているような衣装を思い出していただきたい。日本の学ランのような立襟で、着丈が足首まで覆うほどの長さのワンピース型の黒い服装だ。時代の移り変わりとともにBatinaの形式の変遷はあるが、Batinaが学生としての指定服だったとすれば、つまり現在まで続く大学制服の起源だと言える。

延々と続いていた学生のBatina着用であるが、1910年にポルトガルが革命により共和制に移行すると、共和国政府は、成立のわずか19日後に学生のCapaとBatina着用を任意とし、事実上の廃止を決定する。

これに対し、UCやTAUCなどの大学組織の学生は、Batinaを着続ける意思を表明する。最終的に学生がCapaとBatinaの着用を認められるのは1924年のことであった。これら衣装は文化的なアイデンティティとなっていたことから、ポルトガルの学生の「民族衣装」として認知されたのである。大学によって時期に差はあるが、コインブラで女子学生の「制服」が採用されたのは、1950年代のようである。

なお、ポルトガルでは、大学制服のことを「Traje académico(アカデミックな服装)」と呼んでおり、「Uniforme(制服)」とは言わない。そのことを考えても、学術的研究に勤しむ者だけが着用する特別な衣装であることを実感する。黒いスーツ制服も、実は深い意味が込められていたのだ。

画像:16世紀のコインブラ大学生 -Notas & Melodias

画像:18世紀のコインブラ大学生 -Wikipedia "Traje académico”


 

さて、そんな重要な意味を持つ制服をズタボロにする、Rasgançoとは何なのだろうか。

ポルトガル本国のネット情報を調べても詳しいことは定かではないのだが、Rasgançoは、700年以上も前の大学創設のころに自然発生的に始まった、「Farraparia(ファラパリア)」という儀式に由来するようである。法学部の最終学年の授業がすべて終わる日を宣言する「Ponto(点)」というものがあって、それを機に、待ち構えていた1年生たちが一斉に最終学年の学生の着ているものを引き剥がしていったのだそうだ。そして、この儀式は1910年まで続いていたという。この1910年というのは革命により共和国政府が成立した年なので、Farrapariaは悪しき伝統として、「制服」とともに廃止の方向に向かったのだろうと推察される。

 

では、Farrapariaは何のために行われていたのか。

単に卒業を祝うためでないことは想像できるが、元々の目的が何だったのかは分からない。卒業生には不要となるBatinaを自分のものにしようと強引に奪い取るためだったのか、それとも在学中に受けた先輩からの理不尽な仕打ちへの報復なのか、あるいはその両方なのか。

いずれにせよ、当時は男子学生ばかりだっただろうから、激しい攻防戦の中で衣装がボロボロになるのは目に見えている。「Farraparia」というのは、訳すと「ぼろ布、古着などの山」というような意味になる。おそらく、何百年も前から、ボロボロにされたBatinaの黒い生地が、毎年そこかしこに散乱していたのだろう。

こうした儀式が、現在の制服になってから、Rasgançoという形で復活したというのが定説のようだ。 昨今では稀になりつつあるとはいえ、この因縁を断ち切らない限り、制服たちの受難は続くのだろう。

 

ポルトガルの学校制服は奥が深い。興味を持たれた方は、「Traje académico」や「Capa e Batina」あたりのキーワードで画像検索などされるとおもしろいかもしれない。

ついでながら「Rasganço」というキーワードで当たると、2001年制作の同名映画にヒットすることが多い。こちらはYoutubeで観られるようであるが、我々が期待するようなシーンは出てこないのが残念ではある(笑)。