書道パフォーマンス

 

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書道パフォーマンスと称されるものが世間に認知され、広まるようになったのはいつごろからだろうか? 2010年には『書道ガールズ!!わたしたちの甲子園』という邦画も公開され、いっそう身近なものになったようだ。

書道パフォーマンスというのは、大きな筆を使い、音楽に合わせて書をしたためるということを芸術として見せるイベントのことなのだが、その形態にはいくつかある。そのいずれの形態においても、着用される衣装は、最も苛酷な環境に置かれているもののひとつである。

 

基本的なパフォーマンスとしては、大判のパネルに大筆を使って一文字ないし二文字を書き上げるものである。音楽がない場合もあれば、太鼓などの調子に合わせる場合もあるが、墨をたっぷり含ませた大きな筆を振り回すので、墨のしぶきは飛び散り、衣装はパネルを擦る。

パフォーマンスなので、衣装はサテン系のか弱いフォーマルブラウスやドレス、あるいは和を強調するために和服を衣装として着用することが多い。墨の汚れは容赦なく衣装に襲い掛かる。

学校の書道の時間を思い出すまでもなく、墨は衣類に付いてしまったら、容易に落ちるものではない。そんなものを全身に浴びせられる衣装は堪ったものではないだろう。


学校行事としての書道パフォーマンス

高校などの書道パフォーマンスにも馬乗り型の袴が使用される。元々弓道用の上下が使われることが多いようだが、静粛でゆっくりとした武道に使われるべきものが、ダンスに似た激しい動きのパフォーマンスに供され、おまけに色とりどりのインクで汚されていく。

しぶきを浴び、裾は引き摺られ、あちこちに汚れが付いてしまう。パフォーマーは、それが勲章だと言わんばかりに誇らしげに振舞う。黒い袴は汚れが目立ちにくいが、それだけにシミができても放置されていることも多いだろう。当然、白い上衣は選択しても完全にきれいにすることは難しいと思われる。汚れが目立ってくると、下級生の練習用の衣装に下げられ、挙句は処分されてしまう運命だ。


大学の卒業式に着用されるような行灯型の袴も、高校生の書道パフォーマンス衣装として使用される。行灯型はスカートに似て、揺れる様子がいっそう哀れを誘う。可憐な袴はダンスで振り回され、容赦なく色とりどりの汚れが付く。

途中、演出効果を高めるために使われている大きな布も、あちこち汚れが付いたままだ。しかも踏みしめられたり座られたりして敷物扱いもされている。


衣装が如何に汚れるものであるか、よく分かる。ステージが始まる前から、あちこちに汚れが付いている。

しかし、生徒たちはそれを汚れとは呼ばないであろう。衣装の一部であり、パフォーマンスの記録であり、成功の証なのだ。


学校の制服姿のままパフォーマンスをしている例もある。特に白いブラウスなどは汚れが目立つと思うのだが、大丈夫なのだろうか。もしかしたら、ブラウスもスカートも演技専用のものに特化されているのかもしれない。



アートとしての書道パフォーマンス

学校生徒以外のパフォーマンスでは、矢羽根柄の着物または振袖に袴という姿で披露されることもある。準備段階で襷(たすき)に拘束される着物がまず痛々しい。大胆に大筆を振るうと墨が飛び散り、きれいな着物にも派手にシミが付く。身体を激しく動かすと、着物の袖や袴の裾は引き摺られて墨がべったりと纏わり付く。そうした衣装の汚れもパフォーマンスを盛り上げる要素であるかのように大衆にアピールする。

そんな衣装を可哀想だと思って見ている人がどれだけいるのだろうか? 衣装はクリーニングにも出されずに、ある程度使いまわされていることが多い。墨の汚れも勲章としてキープされる。

本来着物の汚れは、ほんの僅か付いただけでも適切な処置が求められるはずなのに、ここでは放置され、哀れな姿を晒される。衣装たちの助けを求める声は、誰の耳にも届くことはない。

ステージ上の効果を増すために、振袖なども崩された着方をされていることも多い。着物本来の着付け方からは程遠い姿で、そのうえ激しく汚されていく。そして、そんな様子を衆人に環視されるのだ。

アートそのものを否定するものではないが、せめてステージの一員として一役買っている衣装の汚れをきちんと取り去り、綺麗な形で保管してあげてほしい。


ドレスそのものを、キャンバスとして作品にしてしまうパフォーマンスも存在する。


大学卒業式にも着られそうな綺麗な衣装だが、赤い袖に墨がべったり付いている。

ステージが始まる前から、矢羽根柄の着物の袖には墨の汚れが付いている。


振袖と袴といういでたちだが、振袖は片袖が抜かれて着崩されている。派手な舞踊により全身に汚れが付く。この衣装は少なくとも2016年5月より使いまわされているようだ。


当初はまだ振袖として着付けされていたようだ。


一見すると振袖を着用しているように見えるが、袖にきちんと腕を通していない。途中で両肩を抜かれてパフォーマンスが続くので、振袖の胴裏(裏地)にも墨がべったりと付いている。過去に付いた汚れもそのままだ。


振袖を着用せず、袖で上半身に括りつけている。最後には袴もずり落ちそうになっている。振袖も袴もクタクタだ。


書道作品を衣装の上から纏い、踊り狂う。


途中で振袖や袴が乱暴に脱ぎ捨てられる。


振袖が後ろに肌蹴られたように仰け反っている。袴もどろどろだ。


振袖なのに雑に羽織られているだけ。


光沢美しい振袖たちが、片袖を抜かれて着付けされている。右側の袖は折り込まれているのであろうか?それとも切り捨てられているのであろうか?


アンティークの着物も容赦なく汚されていく。


何度も墨の汚れを付けられたせいか、この振袖はやがて袖を切られてしまう運命だ。


墨をたっぷり含んだ大筆が清楚な振袖の間近に迫る。


きちんと着付けされているものの、股を開いてしゃがんだり中腰になったりで、生地も引っ張られている。弾け飛ぶ墨や床に落ちた墨でも振袖は汚れていく。


比較的大人しいパフォーマンスでも、着物や袴の汚れは避けられない。


司会の女性に着用されている振袖は安泰。一方、書道家に着用されている着物の運命は・・・。