武庫川女子大学1


初代制服(旧制服)

1949~1998年

1949年4月の大学開学より、1998年4月入学生(推定)まで採用されていた初代制服。

上下黒色のスカートスーツで、白いブラウスを着る。左の襟に校章バッジをつけるが、ネクタイやリボンの類はない。外観はきわめて地味で、学外からはカラスと揶揄する声もあり、特に後期には学生自身の評判も芳しくなかったようだ。そのせいか、1980年代の証言として、きちんと着る必要があるのは上着のみでスカートは黒色、ブラウスは白色であれば指定品でなくとも黙認されていたという。

唯一特徴的だったのは、上着の裏地が派手な水色だったことで、腕に抱えて歩くとき奇麗な裏地が垣間見えて、武庫女の学生だとすぐに分かった。また、上着の左側にある内ポケットの部分には、赤糸で苗字が刺繍されていた。

この制服は、1991年3月まで、大学生も短大生も通学時には常時着用する義務があった。

制服販売店は、神戸を拠点にしている畑洋服株式会社(御影店)だったが、神戸大丸でも取り扱いをしていた。畑洋服は同大学の現行制服まで一貫して担当している。



学院史に見る創成期の制服

↓1949年に撮影された、武庫川女子専門学校2期生の卒業旅行の写真とのことなので、1947年の入学生であろう。スーツの制服のようなものを着用している学生が大勢いるが、統一されたものではなく、着用が義務化された制服とは言い難い。ただし、旅行中なので私服可とされていたことも否定できない。

<画像出典:武庫川学院サイト 学院70年史編集室だより>

↓1950年代の短期大学の校章バッジ。

画像:ヤフオク yossi_sisui



↓卒業記念に撮影されたグループ写真。1952(昭和27)年ごろのものらしい。卒業生に角帽に紋付き袴姿がいる。卒業式には制服を着用する慣習がなかったのか、あるいはまだ普及していなかったのか、写真では制服姿を見ることができない。

ただ、サイトの説明には、「詳しい記録はありませんが、そのころ制服も定められたようです」とある。

<画像出典:武庫川学院サイト 学院70年史編集室だより>


↓1950年代の写真のようだ。

武庫川学院の70年史編集室にも正確な記録が残っていないようなのだが、初期のころにパンフレットなどの掲載用に撮られた写真らしい。この当時、制服には種類があったようだ。確かに写真では黒い制服とグレーっぽい制服が写っている。

大学の開学が1949年、短大が1950年なので、当初は大学と短大で制服を分けていたのかもしれない。角帽を被っていて、コートまで存在していたというのは興味深いところである。

角帽についてサイトでは「一時的に卒業式などの式典で角帽が使われていたようで、事実、その後の時代の写真には角帽姿は見掛けなくなりました」と書いてある。

 

また、制服については、「制服・制帽制定のいきさつは、はっきりしないのですが、前述のように断片的な興味深い記録は残っています。1950年(昭和25年)9月13日の教授連絡会の記録に『制服・制帽。標準型、希望者の注文に応ず。帽子は希望者のみ。生地1ヤール1300円。2ヤール半は必要か。5000円ほどになるか』とあります。メモ程度の記事ですが、当時の物不足、悪性インフレの事情を物語っているのでしょう。当時の奨学金は月額2000円だったので、それと比較しても高価だったといえるでしょう。」という記述があって興味深い。

 

おそらくは戦後間もないころで物資も不足し、国民全体も経済的に疲弊している中で、制服を完全に強制するには至らなかったということであろうか。もっとも当時、女子を大学に進学させようという家庭はかなり裕福かつ理解のある家柄であったと思う。

文部省の統計資料によると、4年制大学の女子の進学率は、1954(昭和29)年 で2.4%しかなく、1968(昭和43)年になって5.2%となり、ようやく安定的に5%を超えて上昇していくのだから、私立の女子大学に進学し、高価な制服まで着用できるというのは鼻高々な気分であったことだろう。

<画像出典:武庫川学院サイト 学院70年史編集室だより>


↓サイトによると、『毎日グラフ』1955(昭和30)年2月9日号に掲載された「大学めぐりシリーズ」のような企画記事のページに紹介された写真らしい。

奥を歩くセーラー服の数名は附属校の生徒だと思われるが、手前にいるのは大学生だろう。黒い制服が見られるものの、まだ統一感はない。

<画像出典:武庫川学院サイト 学院70年史編集室だより>


↓1968(昭和43)年1月撮影。

甲子園球場の南側にあった武庫川学院「成徳寮」の舎監と寮生たち。成徳寮の1期生で当時20歳だったと説明にある。寮は3階建てで各部屋は4畳半らしいが、3人一部屋だったという。

このころはすべての学生が同じ黒いスーツ型制服を着て写っている。常時着用義務のある制服が完全に定着した時代のようだ。写真の46名の学生たちの制服のうち、今も残っているものが何着あるだろうか。

<画像出典:武庫川女子大学サイト 武庫川学院80年史>


制服詳細

大学創立から50年間の長きにわたり採用されていた初代の指定制服アイテムは、上着、スカート、ブラウスの3点である。

 

<上着>

前合わせ:3個ボタンシングル

襟:ノッチドラペル、角襟(ごく一部に丸襟)

ポケット:左右切りポケット、胸ポケットなし、内ポケット左のみ

カフスボタンなし

表地:毛100%(カシドス系)

裏地:ポリエステル(総裏地)

  

<スカート>

細身Aライン

前観音ヒダ(インバーテッドプリーツ)

(写真のスカートは後期型=後ろ裾片ヒダ)

表地:毛100%(カシドス系、黒色)

裏地:ポリエステル100%(黒色)

 

<ブラウス>

長袖および半袖の白いブラウス 

ネクタイやリボン、スカーフなどは装着しない。



入学時には、指定の上着とスカートおよびブラウスを購入し着用しなければならないが、2年生以上になると、ブラウスは白いもの、スカートは黒いものでであれば市販のものでも着用して通学することが許されていた(制服メーカー:畑洋服株式会社御影店店員談)。

そのため、上着だけ指定制服で、それ以外はフリルが付いているブラウスを着ていたり、フレアになっているスカートを穿いていたりする学生が大勢いた。洗い替え以前の問題として、女子大生なのに地味な白黒の制服を常時着用しなければならないなかで、わずかでもデザインに変化を付けたいという思いがあったのだろうか。

この制服で唯一派手な部分は、上着の裏地が明るい水色だったことだ。暑い日などに上着を腕に抱えていると、黒い生地の塊りの中に水色裏地がちらりと見えるのはお洒落といえるのかどうか分からないが、少なくとも私には妖艶に思えた。

着用した際に上着の袖先を折り曲げて裏地を見せる学生もいたが、私の記憶ではごく僅かだった。

派手な色の上着の裏地に対して、スカートの裏地は一般的な黒色のポリエステルだった。やはり上着は人前で脱ぐことを意識してのことだったのだろうか。

参考までに、畑洋服株式会社御影店での購入例であるが、1985年3月時点で上着(サイズC4)のみが14,000円、1990年3月で上着(D3)+スカート(C12、観音ヒダ仕様)セットが21,900円だったという記録がある。


前期型と後期型

初代制服は、1949年に武庫川学院女子大学として開学したころから1999年にモデルチェンジを迎えるまで、50年間(常時着用義務期間は42年間)、武庫女の顔として着用し続けられるのであるが、資料を精査するに当初10年ほどは完全強制ではなかったと考えられる。

1955年ごろから日本の経済状況も改善の兆しが見えはじめる中で、武庫川女子大学と改称される1958年から1960年代にかけて制服が短大と統一されて黒一色となり、全学的に普及して定着していったのであろう。

1991年4月より常時着用義務が廃止になり、式典等のみの着用になるが、細かな仕様もそれを機に(あるいは随時)変更が加えられている。ここでは便宜上、1991年を境に前期型と後期型に分けている。

<推定Term:初代制服>

黎明期 第一期 1949~1957年 着用推奨期(9年間)

前期  第二期 1958~1990年 常時着用義務化期(スカート観音ヒダ仕様)(33年間)

後期  第三期 1991~1999年 着用自由化期(8年間)


初代制服の長袖ブラウスとスカート。

ブラウスは標準的な角襟。スカートについては、前期型は観音ヒダ(インバーテッド・プリーツ)であるが、のちに後ろ裾の片ヒダ仕様に変更となる。

開閉はいずれも左ジッパー&三段調節機能つきホックによる。

夏服は、半袖ブラウスと夏用の指定スカートを着用する。

初代制服の前期型上着の例。

脱ぎ置かれたとき、妖艶に光る派手な水色裏地がまぶしい。

表地は毛100%、裏地がポリエステル100%で、初代制服はすべて同じ素材。のちの2代目制服と比べるとずっしり重く感じる。写真の上着は左身ごろ裏側にウールマークのタグが見える。

内ポケットに赤糸で苗字が刺繍されているのも初代制服の特徴だ。手書き記名用のタグは前期型上着には付いていない。

当時の校章バッジ。大学と短大共通のもの。管ピン仕様のもので、上着の左襟に装着する。当初は純銀製のものも存在していたようだが、のちに一般的な金属製となる。

1999年に武庫川学院全体で校章が統一されるまで、これが大学・短大の校章バッジとして使われていた。裏側に「武庫川女子大学」という校名が入っている。

 

初代制服の上下(前期型)。

写真のスカートは後ろを上にして置いている。4年間も常時着用されたら、大学制服といえどもかなりテカリが出てしまう。

初代制服の上下(前期型)。

明るい水色の裏地が特徴的な上着に対して、

スカートのほうは黒い裏地だ。上着は人前で脱ぐことを意識して、このような色合いの裏地を採用したのだろうか。

<画像出典:武庫川学院 学院70年史編集室だより>

サイトの中で「バランドーニ先生のこと」というコラムに掲載されていた写真だが、写っているのは、明らかにこの当時、常時着用義務化されていた制服である。しかし、この先生が指導していた時期は1963~1983年とかなり幅があり、この写真もいつ撮られたものか不明で、時期の特定ができないのが残念である。

手前の学生が着用している制服には、常時着用されている証として、テカリがかなりあるのが見える。


細かな仕様の変化

2代目制服にモデルチェンジされるまで50年ものあいだ採用され続けていた初代制服は、外見は同じでも、裏側に付いているタグの種類などに若干の変遷が見られる。

まず、上着について、採用直後の仕様は不明であるが、初期のころは縫製の縫い目の取り方(前身ごろ等)が異なるものがある。

また外見上の変化に乏しいなかで、唯一指摘できる箇所はボタンホールである。最後期のホールは一般的な縫い取りがされたものとなる。

ふだん外からは見えにくいが、裏側のタグの種類(素材・洗濯表示、ウールマーク、記名)の有無や取り付け位置などにより、あるていど前期型と後期型に区別できる。ちなみに上着に記名タグが付いているのは後期型に属する。

初代制服には左側の内ポケットに必ず赤い糸で苗字の刺繍が施されるので、記名タグに氏名を記入する例はほとんどなかったようだ。

裏側というと、裏地が総裏で派手な水色のポリエステル生地が使われていたことは、前期から後期まで共通している。また内ポケットの縁取りに細かなプリーツ加工がされているのも一貫した特徴である。

次にスカートであるが、前期型のスカートには前に長い観音ヒダ(インバーテッド・プリーツ)が入っていたのだが、後期型(の後のほう)には前ヒダが無くなり、後ろ裾に短めの片ヒダが1本付いている。記名タグは前期型・後期型の両方にあるが、付き方と材質が異なっている。

着脱について、「観音ヒダ仕様」のスカートは左ジッパー+ホックであるが、のちに「後ろ裾片プリーツ」に変更になると、ジッパー等も後ろに付けられるようになる。

プリーツ形状が変更になった時期は定かではないが、1990年3月購入の時点で武庫川女子大学事業部経由で購入したものは、まだ観音ヒダ仕様だったことが確認されている。

サイズは2代目に至るまで一貫して「A1」や「C13」のように英数で表記していた。英字部分は、A列からD列まであり、A~Dは体型の違いを意味し、また、それぞれ数字も大きくなるにつれて大柄サイズとなる。制服店の専用表記であると思われる。

初代制服の上着の襟部分についているメーカータグ。神戸・畑洋服株式会社のもの。

電話番号は、神戸市内の御影店の直通である。このタグは、畑洋服株式会社で扱っている中高生の制服に付いているものと共通。

このタグに下の表地と裏地の境目にはサイズタグが縫い付けられているのだが、材質が強度に欠けるため、長期に着用している間に千切れてしまうことが多いし、また着用者が切り取ってしまうこともある。

なお、ここに表示されるサイズは「C3」のような専用表記である。

初代前期型スカートのタグ例。

記名タグは英語で学年・組の欄もある。これは畑洋服株式会社が製作した一般的な学校制服のタグを流用したものである。

そのほかウールマーク、素材表示、サイズ表示タグが付いている。

サイズ表示は「C3」のように英数表記。

画像:pine_remon

初代前期型の上着の中に、襟先が丸くなっている物も僅かだが存在していた。メーカーは同じ畑洋服だが、なぜこのような形状の襟を作ったかは不明である。珍しいパターンと言える。


初代制服(後期型)の上着。後期型は、左身頃の下部に記名タグと素材表示タグがあるのが特徴。

奥襟部分にある白いタグはサイズ表記タグ。

この写真では分かりにくいが、ボタンホールも初期型と異なった縫製がされている。


初代制服の後期型上着のタグ例。

手書き用の記名タグと素材表示タグである。

左身頃の下のほうについていることが多い。写真では光沢のある記名タグに素材表示タグが併せて縫い付けられているが、これらが別々に取り付けられている例もある。

初代制服の後期型スカート(後ろヒダタイプ)のタグ例。

ウエストの辺りに、上着と同じ光沢のある記名タグが付いていて、裏地との境目にサイズと素材を表示したタグが付けられている。

スカートのサイズ表示タグには、英数2桁に加えて、W:ウエスト、H:ヒップ、L:丈がセンチメートルの数字で表記されている。

このタグに「武庫川大」と書かれているが、正式な学校名はあくまで「武庫川女子大学」である。

また、サイズタグに「(冬)」と表記されているのは冬服用(夏スカートについては後述参照)。

ちなみに、このタイプのスカートは2代目制服でも同じものが採用されており、タグ類もほぼ共通している。

写真の細長いものはクリーニングタグ。


着用期間

武庫川女子大学の制服に常時着用義務があったころ、冬服の上着を着るのは4月から5月末日までと、10月から3月までであった。この期間は、登校時に白のブラウスに黒い上着とスカートを着用していた。

夏季においては、上着を脱いで、長袖または半袖の白いブラウスと黒いスカートを着用することになる。

年間スケジュールを見ると、前期授業開始は例年4月10日ごろ、終了は7月末日で、8月の最初の1週間は前期試験期間である。その後、夏季休暇のあと後期授業は9月下旬に開始となり、翌年1月下旬に終了し、1月末から2月初旬に掛けて後期試験が行われる。

これに、制服着用期間を重ねて考えると、6月1日に衣替えしたとして、前期で通学するのは6~7月+試験期間の2ヶ月あまり。また、夏季休暇明けからは10月1日の衣替えまでの10日あまり。

もっとも前述したとおり、2年生以上になるとブラウスは白いものだったら何でも良く、スカートは黒いものだったら大目にみるという慣習があったから、ふりふりブラウスにさらさらフレアスカートという、制服から少しかけ離れた衣装を身にまとう学生もあったようだ。夏季ならまだしも、これに制服の上着を纏うとややちぐはぐな印象を感じたものだが、お洒落をしたい花の女子大生のせめてもの抵抗かと可愛らしくもあった。

近畿地方は衣替えに関係なく、5月の下旬になるとじゅうぶん暑くなり、また10月に入っても残暑が厳しいことがあるから、上着を腕に抱えて歩く女子学生の姿も多く観られた。丁寧に袖だたみして持つ学生、すっかり裏返しにして水色裏地を晒す学生、バッグに引っ掛けて歩く学生などそれぞれに個性が感じられ、衣替えシーズン前後の風物詩のように思われた。

 


制服自由化

<出典:1991年4月11日読売新聞大阪版>

1960年代ごろから30年以上、大学のシンボルとして常時着用を定められてきた黒いスーツの制服も、時代の流れに従って、1991年4月から自由化されることになる。

ただし、入学式や卒業式、その他、学校が定める公式行事には着用することが決められているので、制服が廃止されたわけではない。

なので、新入生は必ず、ブラウス、上着、スカートの指定制服一式をそろえる必要があった。常時着用義務化されていた制服がモデルチェンジしたわけではないので、デザインなどはまったく変化無い。

新入生は4月の入学式の後も、その後数日間続くオリエンテーシ期間中は制服を着用することになっていた。

なお、その他公式行事とはどのような場面かというと、たとえば、クラブ活動で公式な対外試合に出かけるとき、表彰式など大学を代表する場に出席するとき、学園祭などで公式に来場者を迎えるときであったようだ。もちろん、就職活動で着用する例もあった。

初代制服後期(第三期:1991年4月~1999年3月)の8年間に新規入学した学生数は、概算で学部が約16,000名、短期大学部が6,400名、合計22,400名である。つまり入学時に22,400着の制服が新調されたことになる。中にはおさがりで譲り受けた制服もあるだろうが、少なくとも2万着もの制服が作られたものの、そのほとんどは在学中に数回しか着用の機会に恵まれなかったことになる。実際、この時期の卒業生の制服は真新しいものばかりだった。


ご投稿情報

2020/05/16 つかちゃん様より情報提供(画像3点:つかちゃん様提供)

つかちゃん様より情報をいただいたので、整理して掲載する。貴重な情報を感謝申し上げる。

氏は、昭和59(1984)年4月入学の武庫女に通っていた友人がいらっしゃり、当時、武庫女にも行ったことがあるという。そのとき、左右にポケットが付いているスカートを穿いている学生を目撃したとのこと。氏が所有している初代制服スカートもこのタイプで、これは後ろヒダというから、これは後期型なのかもしれない。ちなみに、友人のスカートは前1本ヒダだったそう。これはいわゆる観音ヒダと呼ばれるもので、初期型の前期に採用されていたものだ。時代としては前期型の末期になるので、もしかしたら、観音ヒダと後ろヒダが混在している時期だったのか。私が所有している制服でも確認したいと思っているが、まだ果たせていない。

また、友人によると、生地が薄い夏用のスカートもあったという。

↓つかちゃん様所有品のひとつ。D4というサイズ表記タグがある。

↓スカート前部。後ろ裾にヒダがあり、前にはない。


↓左右にポケットがある。スカート裏地は黒色。

画像:つかちゃん様提供


2020/05/24 つかちゃん様より情報提供(画像:つかちゃん様提供)

つかちゃん様より追加で情報提供いただいた。初代制服後期タイプの夏用スカートを所有していらっしゃるとのことで、前に左右ポケット、後ろ裾にヒダひとつ、材質は表地が毛50%ポリエステル50%で、少し薄手のざらざらした感触ということである。

サイズタグに「武庫川大(夏)」という表記がある。

画像:つかちゃん様提供