私が進学した高校は共学で、男女とも制服があった。冬服は、男子は詰襟で、女子は紺色の上着とジャンパースカートだった。
いま思えば不思議なのだが、入学する高校の女子がどんな制服を着ているのかなんて、入学手続きをする日まで意識がなかった。学校へ同行してきた父親が、トルソーに着つけられている女子制服を指さして、「これが女子の制服か?」と言っていたことを思い出す。そのとき初めて、「そういえば高校にも制服があるんだよな」と思い至ったのだ。
だが、中学校でセーラー服に囲まれていた私は、スーツっぽい制服には目新しさを感じていなかった。
学校が始まって女子の制服を間近で見るようになると、それら制服にも裏地があることに気付く。上着の袖口やチラッと翻ったときの裾から裏地が見える。きっちり着られているジャンパースカートも、左肩や脇のスナップボタン留めの隙間から僅かに裏地が見える。そんな裏地に注目するうち、私はある発見をする。外見は同じ女子制服でも、裏地の色合いや生地質が生徒によって微妙に違うことがあるのだ。
教室に脱ぎ置かれている上着などに近づき、さりげなく観察を続けると、少なくとも3種類存在していて、それは購入した制服店による違いだということが分かった。
ひとつは、表地の紺色とは対照的な明るい色の裏地(A百貨店製)、もうひとつは表地と同系色の色合いの一般的な裏地(B制服店)、そして3つめは表地と同系色ながら少し濃いめの色合いで、さらに斜めに織りあやがある裏地(C制服店)だ。これらは、少なくとも私には一見してすぐに分かる違いで、ジャンパースカートの肩や脇の僅かな隙間の裏地を見ても言い当てることができるようになった。
制服の値段は、たしかA百貨店製のものが若干高かったような覚えがあるが、私の印象では、A百貨店製のものとC制服店製のものがほぼ互角で存在していた。A百貨店は全国規模で店舗展開のある老舗デパートで、BとC制服店は地元校の制服を製造販売している大手の店舗だ。特にC制服店は地元を広範囲にカバーしている。
A百貨店の制服は秀逸だった。表地と裏地の色合いが対照的なコントラスト衣類に特に反応する私には、目の毒とも言える存在だ。明るい裏地は、たとえば上着がどのような形で脱ぎ置かれていようと、裏地がすぐに分かる。そうなると可哀想さがいっそう目立つのだ。
B制服店の制服は数も少なく、裏地も同系色で控えめだったが、地味に輝く光沢に訴えるものがあった。いかにも制服らしい裏地だが、光沢感にも深みがあった。
C制服店の裏地は同系色ながら、さらに黒っぽくも見える濃厚な色で、なにより織り方が変わっていて斜めに織りあやが入っている。そのおかげで、見る角度によって色と輝きが微妙に変わり、誘惑されるような神秘性があった。
どのメーカーの制服を購入するかなんてことは、おそらく生徒よりは親が決めたことで、女子生徒にとっては大した関心事ではないかもしれない。だが、私はそこにハマってしまっていた。
どの子がどの制服を着ているのかを観察するのが日課となり、秀才の子、不良の子、気になる子、可愛い子、そうでない子など、誰がどの制服を着ているかを見て、あれこれ想像を膨らませた。
そのような制服ウォッチで学校へ行くのが楽しくなり、そのおかげか、私が3年間で学校を休んだのは入学直後の不可抗力の一日だけである(笑)。
私が進んだ高校の女子制服がどのようなデザインなのかを知ったのは、入試に合格してからだった。
女子の制服は、夏は半袖ブラウスに紺色のプリーツスカート、冬は長袖ブラウスに紺色の上着とジャンパースカートという、今にして思えば目新しいものではないが、当時の私にとっては、特にジャンパースカートという制服スタイルは斬新なものに見えた。
ジャンパースカートは、ベストとスカートが一体化したようなデザインで、ウエストを共布(=本体と同じ生地)ベルトで締めるワンピースのような形をしている。ワンピースと異なるのは、ブラウスの上に重ね着をしている点だ。
共布ベルトはプラスチック製のバックルが付いてるが、ただ通しているだけなので緩みがちである。それを防止するために、先にスナップボタンが付いていて留めることができるようになっていたが、面倒なのか紛失したのか、先をウエストに挟み込んで括っている女子もよく見た。
観察によって判明したことだが、共布ベルトにも2種類あって、ベルトの縁に縫い目が見えているものと縫い目が無いものとがあった。
ブラウスの袖はゆったりしてフェミニンな雰囲気を出しているのに、それをジャンパースカートの上身頃はしっかりと抑え込んでいる。横から見るとボディコンシャスなフォルムのおかげで、女子の胸のふくらみを、大きい子ははちきれんばかりに、小さい子はそれなりに艶かしく見せてくれていた。
ウエスト部は、腰の細さをできるだけ強調しようとベルトで絞り込まれている。その反動で、スカート部はお尻を包むためにふっくらとしたカーブを作らされている。プリーツが多いので、下半身は生地がたっぷりと使われていて、上半身のタイト感と下半身のルーズ感がまるで対照的だ。
上半分を女子の身体に縛り付けられて拘束されているのに、下半分は女子の動きに合わせて奔放に動かされる仕組みなのだ。
表地は、ふつうの制服によく見られるサージだったので、上着もジャンパースカートも上級生になるにつれ、肘や背中、スカートなどはテカリが強くなっていく。女子たちは冬服の上着やジャンパースカートは洗い換えを持たず、在学中は1着のみで過ごすことが多いらしく、酷使のされ方も相当なものだろう。中学校でセーラー服のテカリを見慣れていた私は、上着とジャンスカという制服もテカテカになってくるんだなと、妙な感心をしたものだ。
ジャンパースカートの裏地は、上身頃だけに付いていて、上着の裏地と同じ生地が使われていた。上着と違って、ジャンパースカートは脱いだり着たりを頻繁にするものではないので、裏地については容易に確認できなかったが、スナップボタンが付いている肩や脇の部分とか、肩口の縁あたりからほんの僅か生地をチェックすることができた。
ジャンパースカートは、一見優雅に見えるが、着心地は良くないらしい。
椅子に座るとき、お尻に敷かれる部分をうまく処理しないと、背中から肩へつながる生地が引っ張られ落ち着かないようだ。そのようなテンションがたびたび掛かると、縫い目にも負担が掛かる。そうでなくとも、立ったり歩いたりしているだけで、自重により下方向のテンションが掛かるので、上半身が窮屈になりがちだ。
のちに自分で着てみる機会があったが、持つと意外と重く感じたのに、着ると自重は気にならない。しかし、体を揺らしたときの反動を上半身で感じるという、男性の衣類にはない不思議さを味わった。また、腰掛けるときにスカートの後ろ部分にゆとりを持たせないと、背中が引っ張られて座り心地が極めて悪い。これに羽織る上衣のサイズによっては、重ね着したときの拘束感が苦痛になるかもしれないと思った。高校の制服は上着なのでまだ良いが、タイトなセーラー服だと、動きにくいかもしれない。
後年、後輩のブログで、このジャンパースカートを嫌って、ベストの部分を切り取ってスカートだけにしてしまった生徒がいたらしいことを知った。自己流でやったので、スカートのプリーツの処理にひどく苦労したと書いてあった。下手な改造をされたジャンパースカートの哀れなことよ。
それはさておき、肩や肩口周りに負担がかかるジャンパースカートは、その部分の裏地の摩耗も激しいことが多いようだ。同じ制服でもメーカーや制服店によって生地質も異なるが、ものによっては、卒業時には裏地が擦り切れてしまって惨めな状態になっていることがある。裏地の擦り切れの修繕は難しく、表側から目立たないのであれば、卒業まで放置されてそのまま使い続けられることも多い。実際、中古品を見ると、脇の下が擦れる部分が擦り切れているものが散見された。古い時代のものに多いようなので、のちに改良されたかもしれない。
高校に入ってから、中学校時代の後輩から告白されたことがある。
初デートのとき、彼女は白っぽいブラウスを着て、花柄のフレアスカートを穿いてきた。
歩くたびにゆらゆらと揺れるシルエットに、私は私服のことを初めて本格的に意識したように思う。
ゆったりしたデザインとさらっとした生地質のせいか、彼女は椅子の座るときも、スカートを意識するそぶりもなく、すっと腰を降ろす。スカートの生地がどのような形でお尻の下に敷かれるのかなど構わずに、躊躇なく座っていた。
観察していると、スカートの生地は右に行ったり左に行ったり、時に折れ曲がり、時に固まりになりしていた。
「綺麗なスカートだね」と私は一度だけ言ってみたが、彼女は少し照れ笑いしただけで、それ以来スカートのことは話題に上らなかった。
一緒に並んで歩いていると、私の手にスカートの裾がバシバシ当たったりした。最初は無意識だったが、ときどき意識的に当ててみたりもした。見ていると、彼女が振る手の指先も、ときどきスカートに当たって、裾が大きく揺れていた。それでも、当然ながらスカートは物言わず耐えているし、彼女も気にする様子もない。私だけがそわそわしていたのだった。
デート中に、彼女に「中学校時代に着ていた制服があったら譲って欲しい」といったのを覚えている。私としては、捨てられてしまうような運命にあるようなら、それを助けてやりたいという気持ちに過ぎなかった。
でも、いま制服がどこにあるか覚えていないので、調べて後日連絡をもらうことになった。
中学3年間お世話になった制服なのに、卒業したら所在さえも分からないとは、制服もずいぶんと軽く見られているのだなと思った。
結局、彼女の制服一式は、親が知り合いの子に譲ってしまったらしいということで手に入れることはできなかった。さらに3年間、学校制服として酷使されることになったわけだ。
学校の教室の後ろの壁には、コートなどを掛けるためのフックがずらりと並んでいた。
太い金属製の無骨なフックだった。冬になるとコートがずらりと掛けられるのだが、小動物が顎を引っ掛けられて吊り下げられているように見えて、とても惨めに思えた。
か弱そうな襟吊り(Hanging Tape)で引っ掛けられているもの、襟にそのまま引っ掛けられているもの様々だが、みんな自重でだらしなく垂れ下がっている。そして、その横を人が通ると、腕が当たるなどして少し揺れるのだ。
そのフックには、ときどき制服の上着も同じように掛けられていた。
上着が脱がれたときは椅子の背もたれに掛けられるのが普通だが、フックに掛ける生徒もいたのだ。椅子の背もたれに掛けられている様子も苦しそうだが、フックに吊るされる様子は哀れさが倍増するように思えた。実際、コートよりも薄手の生地でできた冬服上着にごつい針金様のフックが食い込んでいる様子は見るに耐えなかった。
このフックと同じものが、更衣室の壁にも採用されていた。
更衣室はロッカーや棚がなかったので、体育などで着替えたときはすべてこのフックを使う。
女子更衣室も同じで、ということはつまり、上着だけでなく、ブラウスやジャンパースカートなどもこの無骨なフックに吊るされることになる。
順番を考えるに、まず上着が掛けられ、その上にジャンパースカートが肩部分で掛けられるであろうか。そして、その上にブラウスか。順番を違えると重みで下の服がフックに過剰に食い込むことにもなる。思えば、苛酷な環境の更衣室だった。
学習塾に行くと、他校の生徒たちと同席する。
セーラー服やブレザーなど、さまざまなデザインや色合いの制服を見ることができたが、やはり気になるのは、他校の女子制服の酷使のされ方だった。どのようなデザインであろうと、着られ方や扱われ方に大差はなく、スカートは雑に敷かれているし、脱いだ上着やコートも適当に扱われていることに胸が痛んだ。
私が住んでいた地域には、えんじ色などの派手な裏地が使われている学校が多いことに気づくのに、余り時間を要しなかった。外から見るとふつうの地味な濃紺制服なのに、上着を脱ぐとえんじ色だったり紫色だったりの派手なコントラストが見られた。そして、それをくるっと丸めて机の下に押し込んだりしている光景をたびたび見かけたのだった。
学校制服が虐げられているのは自分の学校だけでなく、他校でも同じなのだと気づかされた。それは、地元の超進学校も例外ではなかった。話をするのもはばかられるような頭の良い女子生徒も、その制服の扱いは同じ。その結果だろうか、制服はテカテカだし、袖口や裾には擦り切れがあったりする。そして、卒業と同時に処分されてしまうのだろう。そう思うと胸が痛むのであった。
親しくしていた女友達は何人かいた。
好きだった子、憧れていた子、ふつうによく話をした子など様々だった。
当時住んでいた家のすぐ目の前の家に、偶然にも同じ高校で同級生の女子が住んでおり、さらに裏手にも2年後輩の女子がいた。
前の家の女子とは家族ぐるみの付き合いがあり、その女子がうちに来てコタツに入って話をしたり、また私が彼女のうちへピアノを借りに行ったりしていたが、特別に恋愛感情を持つとか、そういう話は一切なかった。とは言いながら、彼女の下校時を狙って隠し撮りをしたことがあったが、これは彼女に興味があったからではなく、単に制服の写真が欲しかっただけである。
休みの日などにその子の部屋に行くと、部屋の片隅に高校の制服が吊るされていることがあった。彼女はまじめな子だったので、制服の掛け方も丁寧で、ハンガーにジャンパースカートが掛けてあり、その上にブラウス、そして上着と整然としていた。女子の制服は家庭では大切にされているのか。いや、それは稀な光景だったのかもしれない。
高校卒業後も細々と交流があり、彼女は制服がある大学へ進学した。常時着用の義務はなかったようだが、また制服が使われて辛い思いをしているのではないかと想像は膨らむのだった。常時着用しなくてもよいということは、出番もほとんどないまま処分されてしまうのか。そんなことを想うだけで可哀想度が増していった。
裏手に住んでいた女子とは特に深い付き合いはなかったが、開業医の家庭で裕福そうだったので、そんな家だと制服は冬服でも2-3着持っていたりするのかな、などと勝手な想像をしていた。その子はロングヘアがきれいなスレンダー美人で、あんな子に着られる制服は幸せなほうだなと思ったり、帰宅したらどこに制服を吊るすのかなと考えたりした。学年が違うので校内でも会うことはほとんどなく、下校中に自宅付近で見かけるとちょっとドキドキしたものだ。数少ないチャンスに見かけた制服は、プリーツがいつもきちんと整っていて、大切にメンテされていてさすがだと思った記憶がある。
話は変わって、別に付き合いがあった子の家に遊びに行ったときのこと。
学校から帰りがけに、一緒にその子の家に行き、2階にある彼女の部屋へ通された。
制服姿の彼女は「ちょっと着替えてくる」と言って、部屋のクローゼットから私服を取り出すと、それを抱えて階下へ降りていった。
私服に着替えた彼女は制服を抱えて戻ってきたが、部屋に入りかけたところで、下から母親が呼ぶ声がした。「は~い」と返事をした彼女は、抱えていた制服冬服一式をベッドの上に放り投げるように置いて再び階下へ。どさっという音とともに、投げ置かれた制服一式がもんどりうってベッドの上に放置されたのだった。
誰もいない部屋、ベッドの上には、先ほどまで彼女が着ていた制服が残されていた。ブラウス、上着、ジャンパースカートなどが雑多に積み重なっている。女の子はふだん制服をこのように扱っているのか。学校では観られない光景だった。
高校2年生のある日、担任の教師がクラスのみんなを前にこう問いかけた。
「クラスの兼平(仮名)の制服がなくなったのだけど、だれか知っている人いるか?」
昨日の放課後、脱いだ制服を教室に置いていたのだが、戻ってみると無くなっていたと言うのだ。茶色いバッグに入れてあったという。それも上着、ジャンパースカート、ブラウス、そしてポケットに入れていたタイまですべて行方不明らしい。
「だれか間違えて持って行った人はいないか?」
兼平さんは美人というわけではないが、ちょっとお茶目で可愛らしい感じの女の子だった。気は強いほうだったが、さすがに冬服一式をごっそりなくしてしまうと、気分のいいものではない。苛めなのか、嫉妬なのか、それとも性的ないたずらか、気持ちも悪かろう。すっかりしょげてしまっている。
後に聞くと、親にもずいぶんと咎められたらしい。冬服一式は安いものではない。父親には平手打ちされたと言う。兼平さんを悲しませるなんて、もし盗難だったら許せない。
いやそれ以上に、私は盗まれた制服の行く末を案じていた。
苛めや嫉妬だったら、制服に対しても暴行を働かれているかもしれない。踏んだり蹴ったり、もしかしたらドロドロにされたり、切り裂かれているかもしれない。性的ないたずら目的だったら最悪だ。何の罪もない制服が強姦されてしまう。制服の悲鳴を想像すると、居てもたっても居られなかった。可哀想に。いま何処にいるんだろう。
結局、制服は出てこなかったらしい。
兼平さんは、学校に保管されていた制服を借りて、卒業式まで乗り切った。
現在でも、制服の盗難騒ぎはときどきニュースになるが、絶対に許せることではない。所有者の女子は一生の心の傷になるし、盗まれていった制服はもっと酷い目に遭わされる。たとえ戻ってきたとしても、もし変態に捕まった制服なら、もう着てもらえないだろう。身勝手な人たちのために不幸な制服を観るのは御免だ。
この「衣類の叫びセンサー」というのは、これを書くにあたって便宜上名づけたものだ。このセンサーは私の頭の中にあって、衣類たちが私に送ってくる信号のようなものを受信する感知機能のようなものだ。衣類たちが極端な苦痛を感じている場合に発する叫びを、そこで察知して受け止めるのである。
ほとんどの衣類たちや布類たちは、通常の使用の中で苛酷な環境を耐えながら過ごしているのだが、そのうち特に苦しんでいるものは助けを求めるかのように、私にシグナルを送ってくる。
私のほうはそれを感じると、後頭部の少し下あたりから両耳のうしろの部分にじ~んとした感覚を得るのだ。
それを受信したらどうなるというものではないし、何かアクションを起こすというわけでもない。ただ、その衣類がかなりの苦痛を感じているということを哀れむのみだ。もちろん、このような発信がないからといって、衣類は苦しんでいないというわけではない。
私のなかで「衣類の叫びセンサー」が働くようになったのはいつごろからなのか、正確には定かではない。なんとなく記憶に残るのは、高校生の頃、近隣の他校の女子生徒の制服上着を見たときだった。書店で、制服の上着を脱いだ女子が、それを通学鞄のすきまにぎゅっと押し込んだのだ。その入れ方がかなり乱暴で、上着が悲鳴を上げたような気がし、同時に頭の後ろ辺りがじんじんと反応した。そのとき以降、極端に過酷な状態に喘ぐ衣類を目撃すると、そのようなシグナルを感じるようになったのだった。
幼少期から衣類に哀れみを感じていることは認識していたが、衣類を擬人化して捉えるようになったのは高校生ぐらいの頃だったように思う。クラスメートで特定の女子が気になるようになり、ふと、自分が彼女の制服になったとしたら、どんな感じになるだろうと夢想したことがあった。いやらしい関心からではなく、純粋に自分の身を制服に置き換えてみただけだった。
彼女の部屋で、ハンガーに掛けて吊るされている様子を想像してみる。そのときの「私」は制服の上着になっていて、ジャンパースカートの上に被せられ、さらに私の上にはブラウスが掛けられている。全体からニナリッチのコロンがほのかに香っている。ブラウスは昨日一日一緒に過ごしたので、コロンに混じって、少し汗っぽい匂いもする。
朝起きて、朝食を取り終えた彼女は部屋に戻ってきた。
手際よくブラウスを身につけ、上着である「私」をハンガーから外すと勉強机の椅子に放り出して、ジャンパースカートを着る。そのまま登校の準備をしたあと、ようやく「私」を着て家を出た。
季節はゴールデンウィークが過ぎた頃だろうか、吹いてくる風は生暖かい。学校へ着くと、「私」は仲良しのお友達が着ている「制服たち」と挨拶を交わす。友達のひとりの制服は、家に帰っても乱暴に脱ぎ捨てられて、一晩じゅうハンガーに掛けられることなくソファに放置されていたそうだ。
もうひとりの制服は、着られたまま夕食を取って、味噌汁をこぼされたと言って嘆いていた。
2時間目が始まった頃、教室の室温が上昇してきて、上着の「私」は椅子に座ったまま後ろに脱ぎ落とされる。背もたれに、仰け反るように覆い被せられ、裏地を思い切り晒されて放置された状態だ。表裏を逆にされた姿を見せるのは恥ずかしいことだ。さらにときどき背中で押されて背もたれとの間に挟まれるのも辛い。
周りを見ると、そこかしこで上着が脱がれている。机の中に押し込まれているものもあれば、通学かばんの間に挟まれているものもある。椅子の背もたれに引っ掛けられているものも裾が床について埃まみれになっていたりして、みな苦しそうだ。
昼休みになると、仲良し女子たちが集まってお弁当を食べる。しかし、上着の「私」はそのまま椅子に引っ掛けられたまま、彼女は別の机へ行ってしまう。なんということか、「私」のいる椅子に男子が座った。前から背もたれを覆うように被せられている「私」は、男子の汗臭い背中に押され続けるが、彼女は何も言わない。誰にも助けてもらえずに、このときをじっと我慢してやり過ごすのみだ。裏地がもろに男子の身体に当たっているのが気持ち悪いことったらない。
放課後、掃除の時間になっても「私」は、そのまま椅子の背もたれに掛けられていた。ほかのいくつかの上着も、椅子に掛けられていたり、机の上に放置されたりしている。そんなことにはお構いナシに、教室のすべての机と椅子が後方へと運ばれる。椅子は逆さにして机の上に載せるのだが、そのとき酷いと、上着が机に載せられたまま椅子を重ねられることがある。椅子の重みは人間に比べると知れているが、屈辱的な扱いに耐え無ければならないのは辛い。
幸い、その教室の当番に彼女がいたので、「私」は教室の後ろ壁にあるフックに移動してもらえた。でも、このフックがまた辛くて、襟吊りの部分が千切れそうになって痛い。
ちなみに掃除の時間はジャンパースカートにとっても大変だ。床にしゃがむことも多く、スカート部が床にべったりと付いたりして汚れ放題だ。
ようやく下校時間が来た。
帰宅すると部屋に入った彼女はすぐに制服を脱ぐ。丁寧にハンガーに掛けてもらえる「私」はまだ幸せなほうか。2日間一緒にいたブラウスとはいったんお別れだ。ブラウスは洗濯機のほうへ連れて行かれたのだった。
こんなふうに夢想しているうちに様々なパターンを想定するようになり、また、ほかの女子の制服だったらどうだろうと考えてみるようにもなった。そうすることにより、いっそう制服たちの苦労や苦痛が理解できるようになっていくのだった。
GW明けの5月には、衣替えを前に、暑くて制服の上着を脱ぐ女子生徒が多くなる。昼休みや放課後など教室のあちこちに上着が脱ぎ置かれていたが、私はそういう光景を見るのが好きだった。
背もたれに掛けられているものは多いが、上着の裾が床を擦って埃が付いていたりする。椅子に座ったまま後ろに脱ぎ落したように掛けてあるものは、背もたれにのけ反るように乗っていて、つるつるの裏地が丸見えだ。椅子の座面で小さくなっているのは、座っているときに尻と背もたれに挟まっていたからだろうか、もう上着の扱いをされていない。
きちんと四角に畳んで机の上に置いてある上着は、お上品な女子のものと知って納得する。畳んであっても、すっかり裏返しにされているものはマナーに沿っていたとしても、裏地が晒されて何だか苦しそうに見える。
教室を飛び出していった女子の上着は、適当に束ねられた状態で机の上に叩きつけられたように置かれている。袖も少し裏返っていて痛々しい。机の中に押し込まれている上着は、シワになるのを厭わないのかと不思議に思う。補助バッグに突っ込まれている上着は、助けてくれと言わんばかりに片方の袖を外へ伸ばして揺れている。
教室の後ろにはコート用のフックがあるのだが、そこに上着をひっかける女子もいる。無骨なフックに上着の襟が突き刺さっているかのようで、見ていて痛みを覚えてしまう。
私は、机の間を通って、椅子の背もたれに掛かった上着や、机の上に置かれている上着を、偶然を装って触り歩いたりした。ときに、うっかり床に落としてみたり。ごめんごめんと言いながら元へ戻す。その瞬間の女子制服の手触りを楽しんでいた。
画像:フォト蔵
高校には、卒業生などから寄贈された制服を保管しておく部屋があった。正確にはリユース用なのだが、学校では通称リサイクルルームと呼んでおり、新入生や在校生などが必要に応じて譲り受けることができた。
私は、年度末に集中する寄贈制服の整理を手伝ったこともあり、また、定期的にリサイクルルームに掃除に入ったりもした。
卒業生から持ち込まれる制服は、夏冬上下一式そろっているものも多かったが、哀れだったのは、引き取ったときに、上着は上着、スカートはスカート、ブラウスはブラウス、などとアイテム別にバラバラにされてしまうことだ。せっかく3年間なりを一緒に頑張ってきた制服たちなのに、引き離されて管理される。そして、再利用されるときは別々の女子に使われるのだ。
また、集まった制服がすべて使用可能とは限らない。クリーニングして持ち込むことが原則だが、中には大きなシミがあったり、看過できない擦り切れがあったり、気付かなっかった破れがあったりする。修繕不能とされたものは容赦なく処分されていく。そうした場に私も参加したことがあるが、すべて事務的に淡々と進められていて、制服たちの惨めな姿に驚きながら勃起していた。
大きなテーブルの上にさっと広げられ、表裏を目視され、OKなもの、駄目なものと分別されて大きな箱へ放り込まれる。OKなものはそこから拾い上げてハンガーに掛けたり、さっと畳んだりしてストックする。
駄目なものは、冬服であろうと夏服であろうと、すべてのアイテムがゴミとなる。昔は、今ほど原材料用のリサイクルなんて概念はなかったので、使えない衣類はすべて燃やされる。駄目とされた制服はもう二度と畳まれることなく処分されていくのだ。
私は、何とか助け出せないかと必死で考えたが、高校生が女子の制服をもらって帰るなんて、どう考えても言い訳を思いつくことができなかった。家に持ち帰ったら何かに使えそうな制服たちも、内ポケットが裂けているなどという理由で灰となっていった。
定期的に番が回ってくる、リサイクルルームの整理整頓や掃除は楽しかった。少し埃っぽいというか、学校臭い部屋を嫌がる同級生もいたが、私はまじめすぎるぐらいに率先して仕事を果たした。ずらりと並ぶ女子制服を眺めているだけで幸せな気分だ。ここにいる制服たちは、処分されることなくまた次の出番を待つ。学校生活に戻って、女子たちにこき使われることが幸せなのかどうかはわからないが、少なくともゴミとなって燃やされるよりはいいはず。私は、そんなことを思いながら、うっかりを装って女子制服を触りまくった。ときどき床に落としてみたりもした。「処分」と大きく書かれた箱に放り込まれている制服を見たときは、うちに帰ってからもずっとその制服のことばかり考えたりもした。
卒業してかなりの年月が経ち、母校の制服がモデルチェンジすると聞いた。リサイクルルームにある制服たちが一斉に不要品となる日が来たのだ。さぁ、どうしたものか。このままだと何十着もの善良な制服たちが処分されてしまう。助けてやらねば!
画像:鴻巣市立鴻巣中学校
画像:クーフィーズ
文化祭では毎年いろんなイベントをやり、楽しい思い出ばかりだ。しかし、その一方で、可哀想な衣類や布類の思い出も残っている。
いちばん可哀想だったのは、詳しい内容は失念したが、他の組の出し物でしつらえた人形に着せられていたワンピースだった。文化祭終了後、血気盛んな男子たちによって、集団で暴行され、ワンピースもズタボロにされてしまった。生徒の私物だったそうだが、最初からこうなる運命だったのだろうか。
文化祭では各出し物に予算が付いていて、備品や消耗品などを購入することができた。飾りに艶やかなサテン生地が使われることもよくあったが、文化祭が終わるとほとんどすべての布類がゴミ扱いされ、きれいなサテン生地もくるっと丸めてゴミの山に積まれていた。可哀想で堪らなかったが、まさかこっそりともらって帰るのも怪しがられると思い、見殺しにしてしまったのが今も悔やまれる。
文化祭と言えば、高1のころ、準備のために窓に着ける暗幕が必要となったことがあった。クラスメートの女子が出身中学校から借りられるよう話を付けたとのことで、私と友人と、そしてその女子と女子の友人と一緒に中学校へ受け取りに出かけた。実はその女子は私が一目惚れで憧れていた子だった。出身中学校へ行って初めて知ったのだが、制服は赤いラインのセーラー服だった。私はその子のセーラー服姿を想像して興奮した。預かった暗幕を抱きしめると、なんだかその子の中学校の思い出すべてを抱いているように錯覚した。甘酸っぱい青春の思い出である。
あの暗幕は使い古しの予備品だったと思うが、返却後、間もなくして処分されたはずである。
もうひとつ、1年生のときの文化祭の思い出だが、一目惚れの女子が、当時ブームになっていたダンスを体育館で披露するというイベントがあった。TVで人気があった女性たちが歌って踊るというステージを再現するという。私は残念ながらクラスの出し物を担当していて教室から離れられず、観に行けそうもなかった。しかし、捨てる神あれば拾う神ありだ。出番前になると彼女はトイレで衣装に着替えてきて、抱えていた冬制服一式を教室のバックヤード的に設(しつら)えた場所に置いていったのだ。
私はステージより制服のほうが気になって仕方がなかった。用もないのに、たびたび裏へ入っては制服を確認した。ほかの女子の制服もいくつかあったが、彼女の制服をネーム刺繍で確認することができた。上着、ジャンスカ、ブラウスなどが丁寧に畳まれて置かれている。さすが彼女はきちんとしているなと嬉しくなり、うっかりを装いながらそっと触れたりした。正直に言うと、こっそり顔をうずめて深呼吸もした。石鹸と香水と生地の香りが入り混じっているような、ちょっと汗臭いような、なんとも心地よい女の子の香りを忘れられない。そんなこともあって、私はますます彼女に惹かれていくのだった。
私の学校制服ウォッチの目は、他校の生徒へも向けられていた。
私の高校の近隣に少なくとも2つの公立高校があり、登下校の途上には、それらの女子制服の観察も怠らなかった。両方とも冬服はスーツ型だったが、ひとつは色合いが青に近いもので、スカートもボックスプリーツというデザインだった。仲間内では「事務のオバチャン」と揶揄していたが、私はテカリがきれいに出る生地質(のちに知ったが、カシドス生地)だということと、上着の裏地がしっとりすべしべした印象だったことから、本心で馬鹿にする気にはなれなかった。夏服のブラウスの襟は確かにダサかったが・・・。
もうひとつの近隣校は、当時ではごく普通の濃紺の上着+ベスト+プリーツスカートのセットだったが、上着の裏地がえんじ色というコントラストカラーだった。表地と裏地の色系統が大きく異なるこの種のタイプは、私は異常に関心があったので、この高校の生徒が上着を脱いで腕に抱えているところを見ると、いつもガン見してしまうのだった。
ある日のこと、下校時に自宅の最寄り駅で降りたとき、駅近くの書店の前に停めてあった自転車の前かごに、通学カバンと制服の上着が入っていたことがある。裏地の色からすぐにこの高校生徒のものだと分かった。上着はバッグに押されるようにしてグシャッとなっている。可哀想な姿で置き去りにされている様子に腹が立った。書店の中には、案の定、ブラウス姿の女子生徒が二人いた。一人はわかるが、二人とも手ぶらだ。どうしてだろうと思って店内を回ると、端っこに学生カバンが置いてあり、その取っ手のあいだに挟み込むように上着が束ねて置かれていた。自転車のカゴほどではないが、その様子もとても苦しそうに見え、私はため息をつきながら見入っていた。書店内では、生徒たちによる上着虐待をしばしば目にした。
放課後に塾に通っていたことがあるが、学校から自宅とは反対方向の電車に乗っていたので、別の学校の生徒も見ることができた。地元で秀才校と言われていた女子制服は、先の高校と同じく上着の裏地がえんじ色だったが、スカートが特徴的でプリーツが2本ほどしか無く、フレアぽいっような、タイトっぽいような中途半端なデザインはあまり人気が無かった。個人的には、そんな形状のスカートでもテカテカにテカってくるんだなと、変なところで感心していた。
お嬢様校と言われる某私立女子高の制服は、セーラー服とスーツ上衣との中間のような形のものを着ていた。別の女子高はグリーン一色だったし、脇が開いたジャンスカを着ている女子高もあったしで、少し遠出するだけで、いろんな制服が見られて楽しかった。塾の中では、そうした他校の制服女子がすぐ目の前で勉強しているので、はっきり言って授業に集中した覚えがない。
私が高校受験するときにどちらを受けるか迷った高校は、自宅から少し遠いところにあったので、女子生徒を頻繁に目撃することはなかったが、そこの制服は、襟のないイートン型の上着で極めて平凡なデザインだった。一歩間違えると小学校の制服のようだが、ここの上着も裏地がえんじ色だという点は気になっていた。
友人と某高校の文化祭に行ったことがある。
その高校も公立校だったが、女子制服は清楚なセーラー服だった。襟カバーが印象的で、間近で見られてドキドキした。聞くところによると、某有名女優もその学校の卒業生だそうで、その女優が同校のセーラー服を着ている姿を想像して、十代の私はますます興奮した。
現在では、上で紹介した学校の制服は、セーラー服の高校とお嬢様女子校以外、すべてモデルチェンジしてしまっている。セーラー服も、正確にいうと、着脱しやすいように脇開きを前開きにマイナーチェンジしたようだが、一般人から見たら区別できないだろう。思い切ってフルモデルチェンジしようという話もあったらしいが、反対が圧倒的で残ったらしい。セーラー服は永遠なのだ。関係各位の努力に感謝したい。
ちなみに、インターネット上に、その女優の高校制服姿の写真が載っていた。いやはや素晴らしい時代になったものである。
教室で女子が4-5人集まって話をしているところに通りがかると、その中の一人に呼び止められた。聞いてみると、坂田さん(仮名)という女子が、自宅で制服に醤油を思い切りこぼしたという。たっぷり掛かったらしく、たいへんだったという話で盛り上がっていたようだ。
「まだ匂いするでしょ?」と言って、坂田さんは手に持った上着を私のほうへ差し出してきた。とりあえず頑張って染み抜きしてみたというが、ドライクリーニングオンリーの制服なので、じゃぶじゃぶ洗うわけにもいかず、醤油の匂いはしっかり残っていた。
「スカートも醤油臭いでしょ? 冬服、これしかないから、すぐにクリーニングに出せないのよね」と困った様子。
どんなこぼし方をしたんだ~!?と思いながら、私は「そっか~」とだけ言った。
「さかっち、小柄だからね、私のもうひとつあるけど、着たらダボダボだよね」と別の女子が笑う。醤油まみれにされた制服のほうは誰も可哀想とは思わないんだな、と私はいつものように哀れんだ。
そのとき、私はふと学校のリサイクルルームのことを思い出して、
「学校で貸してもらいなよ」と言ってみた。
「ああ、借りられるのかなぁ・・・。でも、返すときとかいろいろ面倒っぽいし」
結局、そのまましばらく過ごすことになったようだ。
学校制服は普通でもあまりクリーニングしてもらえないのが宿命だが、坂田さんの制服も、そのまましばらくのあいだ、醤油の匂いに必死に耐えていたと思うとやるせない。
ちなみに、坂田さんの上着の匂いを嗅ぐとき、わざわざ両手に取って、顔をうずめるように鼻と口を生地に押し当てたのは言うまでもない。制服にしてみれば、男子にキスされるような行為のほうが気持ち悪かっただろう。
修学旅行は、女子たちの私生活を垣間(かいま)見ることができる機会でもある。私の高校の旅行は数カ所を移動して回るというものだったが、旅行中は基本的に制服着用で、2日間ほど私服デーがあった。女子たちの私服姿は新鮮で、教室では地味な子が大人っぽいおしゃれな服を着ていたり、その逆があったりして、それなりに楽しめた。
女子が私服になっているということは、制服は脱がれて部屋に置かれているということになる。私はそのことのほうが気になって仕方がなかった。
第一日目は長距離の客船に乗っての移動で、船内で一泊したのだが、船内では私服に着替えることが許された。何気なく女子の部屋のひとつを覗くと、狭い部屋に制服が重なるようにハンガーで吊るされているのを見て、旅行中は制服もたいへんだなと思った。
現地で泊まったある旅館では、10人ほどが一部屋に入っていた。夕食後の自由時間に、男子たちが女子の部屋のひとつへ遊びに行くことになった。部屋に入ると、壁際に女子の制服がずらりと吊るされている。それを見てドキドキした男子は私だけだったのだろうか? 雑談をしたりゲームをしたりして盛り上がる中、私は制服をちらちら眺めていた。
ハンガーに掛けられている制服の様子にも個性があるのが分かる。
ブラウスにジャンパースカートをきちんと重ねて、その上に上着を掛けている正統派。
ジャンスカの上にブラウスを掛けている、ほとんど脱いだ順番派。
ブラウスを掛けて、ジャンスカは肩のところをハンガーの取っ手部分に引っ掛けただけの適当派。
上着はハンガーに掛けてもらえずに、横に置いたバッグに載せられていたり、半分押し込まれていたりする分離派。
私は部屋にいる女子のメンツと制服の裏地の色を頼りに、どの制服が誰のものかなどを想像したりした。今この部屋での制服の扱われ方が、自宅での扱われ方と同じなのだろうと思うと、制服の哀れさを確認したようで、私の股間は秘かに勃起していた。
私服デーに別の旅館へ移動することがあったが、女子の持つバッグの中には制服が押し込められているのだと思うと、苦しそうな様子を想像して可哀想で堪らなくなった。きちんと畳まれているのならまだしも、適当に丸めている子もいるはずだ。辛いだろうな。早く出してあげたいな。バスの荷物室に放り込まれていく荷物を見ながら、胸を痛めた。そんなふうに制服を気遣っている人は、全校生徒の中で私だけだろうと思いながら、女子を見ると皆はしゃいでばかり。そんな様子がさらに残酷に思えて、股間は膨らむのだった。
部屋で思い出すことがもうひとつある。
旅行中のある晩、男女で話し合って、あるカップルを一晩同じ部屋に寝かそうという計画が持ち上がった。生徒を信用していたのか、教師はほとんど見回りなど来なかったので、計画は容易に実行された。すでに仲が良くて有名だった男女に女子の部屋を提供し、その部屋の女子たちは別の女子部屋に移動したのだ。
おそらく、あの二人は布団の中で快楽をむさぼったと思う。翌日、男子は「よかった」と言った。のちにあの二人は結婚したと聞いているので、結果もよかった。
思うことは、女子の部屋にずらりと吊るされていた制服たちは、その男女の営みを目撃していたことになる。どんな気持ちにさせられたのか気になるところである。
卒業式直前に、クラスの女子たち数名が制服について話し合っているのを聞いたことがある。
卒業したら制服をどうするかという話で、しばらくは取って置くとか、学校のリサイクル室へ持って行くとかいう生徒がいる中、ひとりが「バッグにリメイクする」と言い出した。
「上着のこのあたりをボディにして、ジャンパースカートのベルトはそのままベルトにして、スカートは切って補強と飾りにする」
在学中に生徒のために奉仕してきた制服なのに、切り刻んでバッグに作り変えてしまおうと考えている。卒業して不要になった制服を妹や後輩に譲るという使い道は想像していたが、リメイクだなんて、私にはそんな発想はなかったので、あまりの残酷さに驚愕したことを覚えている。しかも、母親などではなく、当の本人が、である。
その女子の制服上着は胸の辺りまでテカリが生じるほど使い込まれていた。リメイクするつもりだという話を聞いた上着はどんな気持ちになっただろうか。
卒業後、クラスメートの女子から制服を譲ってもらったことがある。
卒業式を間近に控えたある日、比較的親しくしていたクラスの女子に、
「卒業したら、制服ってどうするの?」と聞いてみたことがあった。
「どうって、もう着ないし・・・」
「捨てたりするの?」
「すぐに捨てることはないと思うけど」
「学校のリサイクルルームに寄付するとか?」
「どうだろ。何も考えてなかったわ」
「じゃぁ、僕にくれない?」私は思い切って聞いてみた。
彼女はちょっと驚いた表情をしたが、
「えっ・・・?!まぁいいけど、どうせもういらないんだし」
と言いつつ、迷いがあるようだ。
「でも、どうして? 何に使うの?」
自分が着ている制服をほしいと言われた女子高生の自然な反応だろう。
私は、卒業すると不要品の烙印を押され、捨てられていく制服を1着でも救いたいという単純な思いからであったが、まさかそんなことを彼女に話せるわけも無く、
「うん、○○ちゃんと会わなくなったら寂しいから、代わりにそばに置いておきたいし」
とその場しのぎの理由を言ってみた。
嫌がられるかなと思ったが、意外とあっさり、
「うん、ならいいよ」と承諾してくれたのだった。
後日、彼女の家に制服を取りに行った。
「全部あるけど、全部は要らないよね?」
彼女の部屋に、冬服・夏服それぞれ一式が用意されていた。
「全部もらうよ。大事にする」
私は、冬服の上着やジャンパースカート、夏服のスカート、長袖と半袖のブラウスと付属品を譲ってもらった。夏のスカートは2枚あり、ブラウスも何枚かあった。
「冬のはクリーニングとかしてないよ」と彼女が申し訳なさそうに言う。
どうせ卒業したらクリーニングなんかされずに、クローゼットに押し込まれて過ごすことになったはずだ。
彼女が無造作に制服を紙袋に押し込んでいるところを見ていると、上着やスカートなどには強いテカリがあった。3年間使い込まれた証だ。ほかのクラスメートたちの制服も、今ごろはお役目を終えてクローゼットなどに押し込まれているのかと思うと胸が痛んだ。彼女の制服だけでも助け出すことができて良かったと思った。
パンパンに膨らんだ大きな紙袋を持ち帰った私だったが、その袋から制服を取り出すことは長い間なかった。彼女の制服は使われるあても無く、男性の部屋の片隅に放置されたのだった。
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最終更新日:2024年11月16日
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